【研究室でインタビュー】
慶應義塾大学 医学部 薬理学教室 塗谷睦生 准教授
掲載日情報:2019/04/04 現在Webページ番号:65872
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研究テーマ、ご自身のエピソードについて語っていただきました!
先生の研究テーマや展望についてお伺いします
まずは、研究テーマについて教えて下さい。 学部生の時からずっと脳科学、脳や心について研究を行っています。脳に対する薬の働きを知ることが、私達の脳や心がどうやって作られているのかを知る鍵になると考え、大きな研究テーマとして取り組んでいます。 |
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測定に非線形光学を使おうと思った理由とは何だったのでしょうか? 組織、特に脳は通常私達が顕微鏡で使う可視光では光が跳ね返ってしまって中まで通っていきません。それを克服する手段として、1990年代に組織透過性の高い近赤外光による非線形光学を使って脳組織の中を見る方法が生み出されたんです。それが、私が大学院にいる頃にとても面白い成果を出すようになって、『これは今後大きくなるんじゃないか』と非常に強い魅力を感じました。そこで博士課程修了後は、当時非線形光学の第一人者であったColumbia大学Yuste教授のラボに行き、ポスドクとして学ぶことにしました。 神経科学分野以外にSHGを用いて確認できる現象はありますか? それは、まさに今開拓中です。SHGなら僅かな分子の配向や傾きの違いなどを、通常の蛍光では見られないレベル(感度)で見ることができます。例えばタンパク質は薬剤が結合すると構造変化が起こりますが、その変化は微々たるもので、通常は捉えられません。そこでタンパク質をSHG色素でラベリングできれば、僅かなタンパク質の傾きの変化も捉えられる可能性があります。そして、生物物理の分野でも蛍光より感度が良いということで、タンパク質の構造変化自体を見ることも期待されています。あとは、膜や界面化学も大きなフィールドですね。 ※当社Ap3紹介記事の使用例2をご参照下さい。 先生が開発されたSHG色素Ap3の利用も含めて、今後はどのような研究を行う予定でしょうか? 脳の機能解明と、Ap3のアプリケーションを広げたいと考えています。二光子励起は90年代から使われていますが、同時に起こる非線形光学現象のSHGはほとんど使われることは無かった。その一番の原因は「色素」が無かったからなんです。そこで、その色素を開発したのが私達の研究であり、SHG専用の色素は世界で初めてと認識しています。 新たな原理のイメージングを用いると、これまで見ることができなかった現象を可視化し、文字通り、新たな光を当てることができると期待されます。今後、これまでの研究を更に発展させ、物理・化学・工学などで用いられる手技を積極的に生命科学研究に応用していきたいです。これまで見ることができず謎に包まれたままになっている多くの生命現象、特に脳の現象の解明や、生理・病理・薬理など多面的な分野における新たな現象の解明に役立てたいと考えています。 でも、おかげさまでしつこくSHGをやっているためか、最近は脳科学ではなくSHGの研究者と思われているようです(笑)。 ※無蛍光性の新規SHGイメージング用色素 Ap3についてはこちらをご覧下さい。 |
塗谷先生の研究室で非線形光学イメージングに使用されている多光子顕微鏡。 |
先生ご自身のことについてお伺いします
子供の頃について聞かせて下さい。 父が工学部の教員で、学術分野に身を置くことがとても身近でした。どのような研究をしていたのかなどは良く知らないのですが、自由な感じが非常に良さそうだと思っていて、子供の頃から研究者になろうと思っていました。 いつ頃から生物化学に興味を持つようになったのでしょうか? ロケットの開発に携わろうと航空宇宙工学科に進むつもりで東京大学の理科Ⅰ類に入りましたが、教養課程で脳科学の講義を聞いて興味を持ったことと、謎ばかりの領域に研究分野として魅力を強く感じ、大きく進路を変更して生物化学科に進むことにしました。 今でも宇宙に興味をお持ちですか? ちょっとまだくすぐられますね(笑)。あまりメディアが取り上げてくれないんですが、ロケット打ち上げが成功すると嬉しくなります。あと、小惑星着陸なんかも凄いな。 |
学部時代の研究室のテーマも神経系だったのでしょうか? 最初は、利根川先生の免疫学に感化を受けたためか免疫にも興味がありました。ただ、勉強していくと免疫学って凄い歴史があって解明されているものも多く、自分が今後やっていくのはちょっと難しいかなと思いまして…。一方、もう1つ興味があった脳に関しては、当時 深田先生が脳の光感知という研究をなさっていて、そこで研究させて頂くことになりました。当時 深田先生は主にヒヨコを使って概日時計(生物時計)の研究を行っており、ついに哺乳類まで研究が進むということで凄い盛り上がっていたのですが、結局そこは1年で出てしまったのです。 学部を出てすぐに留学するのは珍しいと思いました。 脳科学をきちんと学びたかったからです。当時の日本にはシグナル伝達に関して著名な先生が多くいらっしゃったんですが,『脳科学』という分野は身近にはありませんでした。今は大分変ってきていると思いますが、研究の一部でちょっと扱う程度であったり、職人的な人材を育てる教育が多かったように思えます。それを見て、恐らくこれから自分が一生やっていくであろう研究領域の知識があまりないまま そこに特化して大丈夫なのかな?という思いを抱きました。学部・学科として先生が集まっているところできちんとした脳科学の教育を受けたかったのです。 そんな中、当時からアメリカの研究は非常に進んでおり、Johns Hopkins大学にはDepartment of Neuroscienceがあり、専属の先生が20人以上いるなど とても研究力があったんです。そこでは、みっちり2年間学生の教育に特化するんです。『これはきっと自分が今後やっていく中で役に立つだろう』と思って、飛び込みました。寮生活で自由に時間を使えるようになったこと、そして自分がやりたかった研究だったので、研究室に入り浸っていました。ほぼ、住んでいた感じでしょうか?友人に笑われながら「Crazy」と言われました(笑)。 |
Crazy…ですか(笑)。具体的にどれくらいいらっしゃったのでしょうか? 本当にずっといましたね。寮と大学がつながっていて、シャワーは浴びに帰りましたが、寝るのは大学のソファでした。そして清掃の方々が掃除を始めたら研究室に戻る。 部屋にも戻らないのですか!? そうです。凄いCommitmentでした。私は絶対に誰にもあんな生活をさせるつもりはありません。やりたければ止めませんけどね(笑)。最初にラボに所属してから2年間くらい、完全に何もない状態から始めたハイリスク・ハイリターンのようなスクリーニングプロジェクトがありました。「見つかったら本当に面白い!」ということで、凄く燃えていたところもあります。 周りのアメリカ人の方々も同様な生活を送っていたのですか? 健全な自宅通いでしたね。アメリカで過ごして驚いた事は、 9~17時で研究を行い、その後の家庭を凄く大切にしている先生が多かったことです。それでいて世界トップレベルを走っているんですよ。変な感じの自己犠牲ではなく、自分が納得して集中して研究し、それ以外の事は別で楽しむという、どちらも両立させるスタイル。先生達の姿を見ていると、彼らの生活が非常に充実していることが分かりました。最初、私は『全て研究だ!』と思っていたので、『研究以外のことも大事にしていいんだ』と気付きました。そういうONとOFFが非常に上手であることを知り、それは今でも影響を受けていることですね。 Johns Hopkins大学では入学時に大学院生が集められ、先生方が「君達のために私達がいるんだ」と言って下さったんです。単に『働け』ということではなく、きちんとした教育プログラムとサポート体制が整っている。そして、Johns Hopkins大学は特にそうだと言われてましたが、先生同士も仲が良くてアットホームな中で学生を育むという環境。それは自分の家庭を大切にすることと繋がっており、そういった温かさもありながら、かつ世界のトップを走り続けるということがとても魅力的だったのです。 大学院の環境が先生にとってとても大きな影響を与えたのですね。 家族(ファミリー)のメンバーとして受け入れてもらった事がとても大きかったです。お恥ずかしい話ですが、大学院を卒業するときは泣きじゃくるくらいでした。お世話になった先生も非常に多く、ここでの経験が一番の糧になっています。 |
研究面で大変だった時期はありますか?
一番辛かったのは、先ほど言ったスクリーニングプロジェクトの後でしょうか。プロジェクト自体は結果が得られなかったものの、ボスとも納得してスッキリと終えることができたのですが、PhDの5年間のうち既に3年が経過していました。これまで並行してやっていた研究をメインに据えて、あと2年間くらいで結果が出るものをやっていこう、とボスと相談してやり始めました。ボスにはその後も色々なプロジェクトを頂けたのですが、残念ながらどれも本当に面白いと言えるものではありませんでした。卒業に向けたものと言うか、目的ありきのものだったので、「妥協しているな」と感じてしまって どうしてもモチベーションに繋がりませんでした。
最終的には論文にしましたし ちょっと失礼かもしれませんが、不本意に感じながらやっている研究が上手くいかなかった時の心のダメージは一番きつくて、それは今までの中でも一番だったと思います。その経験から、本当に自分がこれをやりたいんだ!と納得してやらなければきっと後悔すると思うようになりました。
研究で予想外の発見はありましたか?
お恥ずかしながら、あまり無いかもしれません。考えてみると、予想外というのは『きっとこうである』という思い込みからくるものだと思うんです。自分でプロジェクトを進めるようになってからはあまり仮説ありきではなく、何が出ても面白い発見に繋がるという研究を志して行っています。そのような中では予想外というものは少なく、「へえ~、そうなんだ」とある意味受け身で楽しめる発見が多いかと思います。
研究で喜びを感じた瞬間について教えて下さい。
特に記憶に残るのは、大学院の時にプロジェクトを決定づけるウェスタンブロッティングのバンドがX線フィルム上に出た時と、ポスドクの時にSHGで神経細胞の樹状突起棘(スパイン)からシグナル取得に成功した瞬間かと思います。どちらも一人暗室に篭っている時のことなので、特に印象に残っているのかもしれません。SHGは非常にS/N比が悪い中でやっていて、蛍光灯の光はもちろん、既に遮光対策してあるモニターも使えませんでした。だから本当に真っ暗なんです。事前にカーソルの位置を合わせておいてモニターを消し、全く光の無い真っ暗な中でスイッチを押して、しばらくしてから暗い光を点けて確認する。そういう過酷な環境もあって、盛り上がったのだと思います。 想像していた暗室のレベルを超えていました・・・! |
最後に、若手研究者や学生へメッセージをお願いします!
限られた時間を有効に使い、自分が楽しいと思い、自らやりたいと思う研究に邁進して貰いたいと思います。『ボスから言われたから』という研究ではやる気も湧きませんし、うまく行かなかった時に他人のせいにしてしまうことになります。一方、納得して自ら選んだプロジェクトであれば、失敗しても更にチャレンジする力が湧き、どのような結果になっても楽しく実りあるものになると思います。そして、ONとOFFを大事にして下さい。研究室に長時間いればいるほど集中力は欠けてきます。それよりも、完全にリフレッシュしてまた集中する。そうすれば上手くいかなかった時でも考え直すことができ、次の希望が沸いてきます。 最後に。大げさに聞こえると思いますが、皆さんが研究者として世界を変える力を持っていることを知って下さい。そのためには、ぜひ海外などで世界的に有名な科学者に学んで下さい。私がいた大学院ではノーベル賞をとった先生や、ノーベル賞級と称される先生がその辺をジーンズ姿で鼻歌交じりに歩いていたり、子供の話などをしたりしていました。一見、普通のおじさんおばさん達が世界をリードし、しかも一人で世界を変えていたんです。それを見ると彼らは決して雲の上の存在ではなく、家庭を大切にする普通の人であることが分かります。皆さんも彼らと同じ土俵に立てるのだという気持ちを持ち、世界を舞台に活躍してほしいと思います。 本日はお忙しい中ありがとうございました。 |
慶應義塾大学 医学部 薬理学教室
心や脳の働きの謎に迫るべく、最先端のイメージング技術や分子・細胞生物学的手法を駆使して研究を行っている研究室です。 |
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