知りたい!マルチオミクス研究とがん微小環境
~データ駆動型研究から見えてくる生命現象の全体像~
東京大学 先端科学技術研究センター 准教授 大澤 毅 先生
掲載日情報:2026/08/07 現在Webページ番号:73212
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近年、ゲノム、エピゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームなど各オミクス解析技術の発展により、ますます網羅的に、かつ高解像度に生命情報が取得できるようになってきた。また同時に、低価格で手軽 に各階層のオミクスデータが得られるようになったことで、1つの研究テーマで複数のオミクスデータを組み合わせることが主流になってきた。これからのデータ駆動型が主流の医学・生物学研究では、多階層のオミクス情報を 俯瞰的に見て、いかにして生命現象の全体像をあぶり出すか、その戦略が重要になると考えられる。本稿では、マルチオミクス研究の基本的な考え方と、がん微小環境研究への応用について概説する。
マルチオミクス研究の戦略と実験デザイン
「マルチオミクス研究」をはじめる際、どのように各オミクス解析技術を選び、統合していくのか?
仮説駆動型研究の大きなサイクルとして、①データの取得、②仮説の形成、③仮説の検証があり、1つの階層を元にしたサイクルをもとに、さらに別の階層のデータ取得、仮説の形成、仮説の検証へと進む(図1)。
このようにして複数の階層のオミクスデータを順次統合していくことで、より深い生命現象の理解が可能となる。
これまで個別分子を対象とした仮説駆動型の生命科学から一変して、多階層のオミクス情報を俯瞰的に見たデータ駆動型のマルチオミクス研究が生命科学の主流となりつつある。
各オミクスの関係については、単なる1階層のオミクスの寄せ集めではなく、複数の階層間における因果関係をもった相互作用をもつ各レイヤーが平面的な広がりをもちながら、
さらに上下の階層間をつなげていく考え方「トランスオミクス」という概念が主流であり、レイヤー間のつながりやフィードバック機構を解明する研究が進められてきた(図2左)1。
マルチオミクス解析の1つの捉え方として、それぞれの階層で見えた生命現象の断面を、いかに他の階層で見えた断面とつなぎ合わせ、生命現象の全体像を掴むのかという作業が重要である(図2右)1。
例えば、ゲノム・エピゲノム階層で捉えた事象と、トランスクリプトーム、プロテオームの階層で捉えた事象といった一見繋がりのない事象は、生命現象の本来の姿をある側面から投射した形であり、
それぞれをつなぎ合わせることによって生命現象の本来の姿が浮かび上がるのである。このように、最近のマルチオミクス解析は、生命の全体地図を描くという大きな目標を有する一方で、生命現象において鍵となる階層間の相互作用
の全体像を把握するために利用するのに適切であることがわかる。
近年では、エピトランスクリプトームやリン酸化プロテオームなど、オミクス階層の修飾情報も網羅的に計測可能となり、さらにいくつかの階層では1細胞レベルの解像度で情報を取得できるようになってきている。シングルセル
解析は、これまでバルクレベルの解析では失われていた細胞群の不均一性の解析を可能とし、時空間情報を得たまま単一細胞レベルでのオミクス解析が可能となっている。これにより、生命現象をより詳細に投射し全体像を
理解することが可能になりつつある。
がん微小環境における細胞間代謝相互作用
固形がんでは、不完全な血管構築や血流不全により生じる低酸素、低栄養、低pHなどのがん微小環境が存在する。このような粗悪ながん微小環境は、エピゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームなど様々な階
層のオミクス変動を介して、転移・浸潤能を促進し、治療抵抗性や予後不良に寄与することが知られている2。また、このような環境に適応したがん細胞は、しばしば細胞死耐性を獲得し、免疫寛容や薬剤耐性を示すことで再発や患者
の予後不良に関与することが報告されている。このことから、酸素や栄養の供給が不足したがん微小環境で生存するがん細胞に対する創薬標的を探索することが重要であると考えられる。
腫瘍組織内のがん微小環境は、栄養素や酸素、pHのみならず、様々な種類の細胞間の相互作用によって形成される3。例えば、がん細胞は、がん微小環境で最も豊富な細胞の一つであるがん関連線維芽細胞(CAF)からのアラニンやグルタミンといった代謝物質を利用して増殖する4。また、免疫細胞もがんの進行に関与しており、がん細胞から分泌される乳酸
やキヌレニンなどの代謝物質が免疫細胞の免疫抑制機能を増強することが知られている5。当研究室においても、がん細胞単独、あるいは多細胞連関モデルを用いた腫瘍形成実験を行ったところ、がん細胞-CAF-免疫細胞の代謝相互作用が腫瘍形成に大きく寄与することを見出している(図3)。したがって、がん微小環境における細胞間相互作用の理解は、新しい治療法の開発に重要な役割を
果たすことが期待される。
がん細胞は、隣接する間質細胞または免疫細胞の代謝をリプログラムし、がん細胞の増殖に利用できるアミノ酸などの栄養素を提供し、また、免疫寛容を誘導するシグナル伝達物質を分泌する。本研究では、がん細胞単独、線維芽細胞単独やがん細胞と線維芽細胞を共移植する系を用いて、1細胞レベルでの解析を行っている。また、低酸素がん微小環境は、がん細胞、線維芽細胞、および単球/マクロファージにおいて異なる遺伝子発現系を誘導する。低酸素下ではHIF1αを介した解糖系は様々な細胞で共通して亢進されるが、単球/マクロファージではHIF1αに非依存的経路も亢進することが明らかとなってきた。
おわりに
マルチオミクス研究が医学・生物学研究で必須となりつつある今、如何にデータの質を担保し、如何につなぎ合わせ、如何に生命現象を解読するかが鍵である。がん微小環境研究においても、がん細胞自身のオミクス変動のみならず、細胞間の代謝相互作用の多階層的な理解が、新しい治療標的の発見につながることが期待される。マルチオミクス解析 は、これまで「網羅解析を使った研究は仮説の立てられない総花的な研究だ」と否定的であった生命科学者にも、思いがけない方向性を与える可能性があるのではないかと考えている。
参考文献
- 大澤 毅(編), マルチオミクス データ駆動時代の疾患研究, 実験医学増刊, 41(15), 羊土社 (2023).
- Pavlova NN, Thompson CB, The Emerging Hallmarks of Cancer Metabolism, Cell Metab., 23(1), 27-47 (2016).
- Dey P, Kimmelman AC, DePinho RA, Metabolic Codependencies in the Tumor Microenvironment, Cancer Discov., 11(5), 1067-1081 (2021).
- Sousa CM, Biancur DE, Wang X, et al., Pancreatic stellate cells support tumour metabolism through autophagic alanine secretion, Nature, 536, 479-483 (2016).
- Brand A, Singer K, Koehl GE, et al., LDHA-Associated Lactic Acid Production Blunts Tumor Immunosurveillance by T and NK Cells, Cell Metab., 24(5), 657-671 (2016).
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