知りたい!父加齢からニューロダイバーシティを考える
東北大学大学院 医学系研究科 発生発達神経科学分野 教授 大隅典子 先生
掲載日情報:2024/07/12 現在Webページ番号:71134
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ニューロダイバーシティの生物学的起源について興味を持った筆者は、2016年に新学術領域「多様な〈個性〉を創発する脳システムの統合的理解」1を打ち立て、これまで“動物実験における「個体差」はなるべく少ない方が客観的に正しい真理に到達できる”とする近代科学の常識に疑問を呈し、“ばらつき”自体にも意味があることを訴えてきた。
本稿では、ニューロダイバーシティを誘導する要因の1つとして「父親の加齢」に着目し、行ってきた一連の研究成果について紹介したい。
脳の個性とニューロダイバーシティ
「ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)」とは、そのまま日本語に直すなら「神経多様性」となるが、一人ひとり異なる脳・神経系構築や機能と行動特性等への発露のされ方を中立的に捉えた言葉である。このような概念は、比較的高いIQを備えた自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)などの「定型発達」を遂げたマジョリティとは異なる特性を、治療の対象としての「疾病」と捉えることに対するアンチテーゼとして生まれてきた。“天才”と呼ばれ称賛される人々の中には、その類まれな才能とともに、種々の特異なあるいは奇異なエピソードも知られている2。ASDやADHDは他に学習障害や言語発達障害等とともに、精神科領域では「神経発達症(Neurodevelopmental disorders)」として分類され、通常、生まれる前の胎児期または幼少期の早い段階で定型発達とは異なる非定型発達をとることにより、コミュニケーション能力、学習、自己制御、そして対人関係のスキルに関して影響が及ぶと考えられている。。
父親の加齢はニューロダイバーシティを広げる
脳の発生や神経新生に重要な転写制御因子Pax6の研究を1990年代から行ってきた筆者は、Pax6遺伝子に変異を有するラットの行動表現型に関する論文3を2010年の12月に発表した後、次の方向性を模索していた。遺伝子同士の組み合わせによって、多様な表現型を説明するのはちょっとしんどそうだなぁ・・・とぼんやり考えていたところ、2011年3月、東日本大震災により研究室は壊滅的なダメージを受けた。だが、東京出張等が減ったことによって、雑誌を手にとってページをめくるというフィジカルな行動を取ったことで偶然「ASDの頻度は近年、上昇しているが、その原因はほとんど未知である」という趣旨の論考4に出会うことができた。
その論考の中では、「およそ半分の理由は不明だが、ASDの診断基準が確立したこと、その結果として社会的認知が広まったことは、それぞれ25%および15%程度、ASD増加に寄与しているだろう」と見積もっていた。だが、これらの要因に関しては齧歯類を使って解くことができる問題を立てることができない。唯一、注目できたのは「両親の加齢」で、これは約10%程度の寄与率という。では、父親と母親のどちらの関与が大きいのだろう?
調べてみると、父親の加齢の方が母親よりも子どものASD発症に大きな影響があるという疫学論文は複数、見つかった5。母体側からの影響は、高齢化だけでなく、感染、薬物暴露等、様々なエビデンスがある。それに対して、父親の加齢に関しては、まだ解明が進んでいなかった。マウスを用いてきちんと条件を整えて父加齢の影響を生物学的に解くのはきっと面白いだろうと考えた。
疫学データからは、父加齢の影響は40代後半くらいから現れる。そこで、野生型マウスを用いて、生後3か月(若齢)の雌を、3か月もしくは12か月超え(加齢)の雄と交配することにより仔マウスを得て、父加齢の影響を調べる実験系を確立した。種々の行動テストを行ったが、もっとも鋭敏なデータが得られると考えられる「母仔分離誘導超音波発声」に着目した。生後の仔マウスは母マウスから離されると、人間には聞こえない超音波帯で鳴く。仔マウスの鳴き声が母親の養育行動を引き起こすことから、この音声コミュニケーションは人間の赤ちゃんの泣き声と同等に考えられている。たった5分間の音声記録をフーリエ変換して画像化すると、とてもリッチなデータが得られる。そこで、生後3日、6日、9日、12日の野生型仔マウス1匹ずつの音声コミュニケーションの発達過程を数理工学的に解析した結果、加齢父マウスから生まれた仔マウスの中には非定型発達を遂げるものがあることを示すことができた(図1)。ではどのような分子的実体が次世代に継承されるのだろうか?
図1. 野生型仔マウス音声コミュニケーションの発達過程
野生型仔マウス個体ごとの生後3日(P3)~12日(P12)の超音波発声の様態の主成分解析。P3ではそれぞれの個体の鳴き方は異なっている。その後若齢父由来仔マウス(YFO、◯)は発達の過程で徐々に収斂していく(定型発達)が、加齢父由来仔マウス(AFO、△)の中には、非定型発達(cluster 5、オレンジ)を示すものがいる。
(Mai, L., et al., iScience, 25(8):104834(2022).[PMID:36039363]より改変)
精子のエピ変異が鍵
「卵子の老化」については、ダウン症発症率の増加等から広く知られている。一方精子形成は、精巣において精子幹細胞から日々作られ続けるため、精子は卵子のように「老化」するわけではないと考えられてきた。しかし精子幹細胞は、増殖を繰り返すうちに分化能力が減弱し、加齢に伴う精液量の減少や精子の運動率の低下や形態異常、受胎率の低下が報告されている。世代を越えた影響についての知見は少ないものの、精子形成の1サイクルは、ヒトでは約74日、マウスでは約35日かかり、精祖細胞が多くの細胞分裂を経て、結果としてクロマチンリモデリングを多数経験することによって、ゲノムやエピゲノムのエラー(エピ変異)が起こる可能性も高く、その分加齢による様々な影響を受けやすい。実際、ASDや統合失調症の患者にみられるde novoの変異は、多くが父親由来のものであり、その変異は父親の年齢が上がるほど蓄積されることも報告されたが、高齢の父親に由来するde novo変異の、子どもの精神疾患リスクへの寄与率は10~20%に留まるとの解析結果もあり、ゲノムの変異以外の要因が関係することが窺われた5。
一方、米国におけるASDの子どもを持つ家族のコホート調査プロジェクトから、父の精子DNAのメチル化状態と子どものASDの様態に相関性があることが報告された6。そこで筆者らは若齢および高齢マウスの精子DNAの全メチル化解析を行ったところ、高齢マウス精子DNAには低メチル化領域が96箇所あることがわかった7。さらに、その低メチル化領域に共通する配列として、神経発生を制御する転写抑制因子であるREST(The repressorelement-1 silencing transcription factor, Neuronrestrictivesilencer factor:NRSFとも呼ばれる)の結合配列があり、さらに、マウス胎仔脳において発現上昇しているRESTの標的遺伝子が37個見出された。したがって、精子DNAメチル化のエピ変異により、仔マウス神経発生の遺伝子発現プログラムが改変され、行動の変容に繋がるというシナリオが想定される(図2)。精子のDNAメチル化は受精後にいったん消去されることが知られているが、例えばインプリンティング遺伝子のように、どのように再メチル化が特異的に生じるのかはまだ謎である。この点が今後の大きな課題といえる。
図2.父加齢によるエピ変異が仔マウスの行動に影響を与える
また、他のエピジェネティック因子に関して筆者らは、精子形成過程におけるヒストン修飾の様態をマウス精巣を用いて解析し、様々なヒストン修飾が加齢によって変化することも見出した8。その中には、H3K79me3のように、精子のヒストン修飾と、その雄マウスから生まれた仔マウスの超音波発声コール数との間に負の相関性が認められるものもあり、次世代への影響の指標として興味深い(特許6653939号)。
さらに、精子のマイクロRNAについてもアレイを用いた網羅的解析を行い、加齢によって変化するマイクロRNAが多数存在し、その中にはASDに関連するものも含まれることを報告した9。このようなマイクロRNAも将来的に精子のエピジェネティックなクオリティを示すバイオマーカーになることが期待される。
ニューロダイバーシティを受け入れる包摂的な社会に向けて
有性生殖は多様性を生み出す原動力であるが、精子のエピ変異は、さらに多様性を増す鍵といえるだろう。様々な社会的影響により、子どもを持つ年齢は上昇している。したがって、次世代のニューロダイバーシティがより大きくなる方向は続くと考えられる10。より包摂的な社会になることが今、求められている。
参考文献
- 新学術領域「多様な〈個性〉を創発する脳システムの統合的理解」http://www.koseisouhatsu.jp
- スティーブ・シルバーマン著, 正高信男訳, 入口真夕子訳(2017年)『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』講談社ブルーバックス
- Umeda, T., et al., PLoS One, 5(12), e15500 (2010). [PMID:21203536]
- Weintraub, K., Nature, 479(7371), 22~24 (2011). [PMID:22051656]
- 舘花美沙子,大隅典子『DOHaD研究』11(2), 52~62(2023).
- Feinberg, J.I., et al., Int. J. Epidemiol., 44(4), 1199~1210 (2015). [PMID:25878217]
- Yoshizaki, K., et al., EMBO Rep., 22(2), e51524 (2021). [PMID:33399271]
- Tatehana, M., et al., PLoS One, 15(4), e0230930 (2020). [PMID:32267870]
- Miyahara, K., et al., Sci. Rep., 13(1), 20608 (2023). [PMID:38062235]
- Osumi, N. and Tatehana, M., et al., EMBO Rep., 22(8), e53539 (2021). [PMID:34288347]
著者プロフィール
東北大学大学院 医学系研究科 発生発達神経科学分野 教授
大隅典子 先生
東京医科歯科大学 歯学部卒、歯学博士。同大学 歯学部 助手、国立精神・神経センター 神経研究所 室長を経て、1998年より東北大学大学院 医学系研究科 教授。2006年より同大学 総長特別補佐、2008年にディスティングイッシュトプロフェッサーの称号授与。2018年より東北大学副学長(広報・ダイバーシティ担当)、附属図書館長を拝命。最近の書籍として『脳から見た自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』(講談社ブルーバックス)、『小説みたいに楽しく読める脳科学講義』(羊土社)等がある。
当研究室「発生発達神経科学分野」は、25年前に神経発生をテーマに据えて研究活動を行ってきたが、13年前の東日本大震災を契機に「父加齢による次世代神経発生への影響」に興味を広げたため、神経発生に加えて精子形成への加齢の影響についても一連の研究を展開している世界で唯一の研究室であると自負している。
研究室メンバーによる芋煮会(2023年10月)
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