知りたい!合成致死性を利用したがん治療法
~がんの弱点を見つけて創薬標的に応用する~
国立がん研究センター 研究所 がん治療学研究分野 分野長 荻原 秀明 先生
掲載日情報:2023/09/01 現在Webページ番号:71121
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がんの遺伝子異常に基づいた“がんゲノム医療”は、がん遺伝子パネル検査の普及によって実現化している。現状では、治療法がないがん患者の方、あるいは標準治療が効かなくなってしまった患者の方が、このがんゲノム医療の主な対象となっている。しかし、遺伝子異常を特定できたとしても必ずしも治療できるとは限らない。それは、すべての遺伝子異常に対して最適な治療法が確立されているわけではないからである。一部のがん遺伝子異常に対する治療薬の開発は進んでいるが、一方で、がん抑制遺伝子などの欠損型遺伝子異常のがんに対する治療法の確立が遅れている。その問題を解決するために、合成致死性という遺伝学的概念を応用したがん治療法の確立に期待が寄せられている。
がんゲノム医療:遺伝子異常に基づいたがん治療法
がん遺伝子パネル検査が日本でも保険適用となった。これにより、患者ごとのがんの特徴や性質に合わせた最適な治療である“がんゲノム医療”の実現化が期待されている。しかし、現状では、がんゲノム医療で治療が適用される遺伝子異常は限られている。現在、がんゲノム医療の対象となるのは、主にがん遺伝子に活性化型異常のあるがんである。このようながん細胞の増殖は、活性化したがん遺伝子の機能に依存している。よって、この遺伝子の機能を阻害することで、がん細胞の増殖を抑えることができる(図1A)。一方で、がん抑制遺伝子に欠損型異常のあるがんでは、何らかの“弱点”が生じることがある。つまり、がん抑制遺伝子が関連する分子経路が弱まったり、あるいはがん抑制遺伝子によって抑えられていた分子経路が活性化したりする。欠損型遺伝子異常によって生じる異常な状態、すなわちがん細胞に特有の“弱点”を標的とした阻害薬を使用することで、がん細胞を選択的に抑えることが可能となる(図1B)。このような欠損型遺伝子異常によって生じた“弱点”を阻害するがん治療戦略は、“合成致死性”という概念に基づいている。

図1A.がん遺伝子が活性化した遺伝子異常でできたがんに対するがんゲノム医療
がん遺伝子の異常を見つければ、その異常を抑制する阻害薬で治療が可能になる。
図1B.がん抑制遺伝子が欠損した遺伝子異常でできたがんに対するがんゲノム医療
がん抑制遺伝子の欠損型異常があった場合は、その異常との合成致死性因子(弱点)を見つけなければならない。
そして、その合成致死性因子を抑制する阻害薬で治療が可能になる。
合成致死治療法:がん特異性が高く、副作用が少ない治療が期待できる新しい治療戦略
合成致死性とは、2つの遺伝子XとYがあった場合に、1つの遺伝子だけを抑制しても細胞の生存には影響はないが、2つの遺伝子を同時に抑制したときに細胞が致死となる現象である(図2)。
図2.合成致死性
遺伝子XとYは必須遺伝子ではないが、XとYを同時に抑制した時にだけ細胞が致死になる遺伝学的な現象。
例えば、遺伝子Xの欠損型遺伝子異常を持ったがん患者がいたとする(図3)。このとき、がん細胞では遺伝子Xが欠損しているため、さらにXとの合成致死性因子であるYの機能を阻害する薬剤を投与すると、XとYの両方が同時に抑制された合成致死性の状態となり、がん細胞は死滅する(図3右)。一方で、Y阻害薬は全身に行き渡るため、がん細胞だけでなく正常な細胞にも影響を及ぼすと考えられる。しかし、正常な細胞では遺伝子Xは正常であるため、Y阻害薬の投与によってYの機能が阻害されたとしても、正常細胞は合成致死とはならない(図3左)。このように合成致死性の概念を利用したがん治療法(合成致死治療法)は、正常細胞への影響が少ないことから、副作用が少ないことが期待できるとともに、がん細胞選択的な効果も期待できる。
図3.合成致死治療法
欠損型遺伝子異常によって生じた弱点を標的とした合成致死治療法
我々の研究グループでは、多くのがんで高頻度にクロマチン制御遺伝子の欠損型遺伝子異常があることに着目してきた。そして、これまでにクロマチン制御遺伝子欠損がんに対する合成致死標的を同定し、その阻害薬を用いた合成致死治療法を提唱してきた1。クロマチン制御因子は、クロマチンリモデリング因子とヒストン修飾因子の総称である。クロマチン制御因子は、クロマチン構造を開いたり閉じたりすることで、転写因子やDNA修復因子などのクロマチン結合を制御する。このような機能に基づいて、クロマチン制御因子は、転写やDNA修復などの様々な細胞の基盤的機能を制御する。
我々は、卵巣明細胞がんや胃がんで高頻度に欠損型遺伝子異常のあるSWI/SNFクロマチンリモデリング複合体の構成遺伝子ARID1Aに着目した。ARID1A欠損がんに有望な創薬標的を探索するために、ARID1Aノックアウト細胞株モデルにおける、阻害薬およびsiRNAを用いた合成致死標的の探索を行った。その結果として、ARID1A欠損型細胞は、グルタチオン(GSH)阻害薬(APR-246、BSO)に高感受性を示すだけでなく、GSH代謝遺伝子(SLC7A11、GCLC、GSS)を抑制することによって合成致死性を示すことを見つけた2、3。また、ARID1A欠損型がん細胞とARID1A正常型細胞の遺伝子発現の違いを調べてみると、ARID1A欠損がんでは、GSH合成経路の上流を制御する遺伝子であるSLC7A11の転写が減弱していた(図4)。
図4.ARID1A欠損型がん細胞におけるGSH代謝の脆弱性に基づくGSH代謝阻害薬を用いた合成致死治療法
SLC7A11は、GSHの原料であるシステインの供給に必要な因子である。そのため、ARID1A欠損がんで減弱したSLC7A11の影響により、システインの供給量が下がることで、GSHの合成量が減少していることが分かった。また、GSHは活性酸素種(ROS)を抑えている代謝物である。ARID1Aが正常に機能している場合は、GSHが十分に合成されているため、ROSを効率的に抑制できる状態にある。しかし、ARID1Aが欠損することでGSHが減少し、GSHとROSの恒常性のバランスが不安定になっている。このGSHが少ない状態から、さらにGSH合成を阻害すると、GSHが枯渇した状況に陥る。その結果として、ROSを抑えきれなくなることで、ROSが過剰に増加してしまう。最終的には、ROSによって細胞内のDNAやタンパク質などを傷だらけにしてしまい、細胞死(合成致死)に至らしめる。このように、ARID1A欠損がんでは、GSHが作られにくいという弱点を抱えている。その弱まっているGSH合成を薬でさらに抑えることで、がんを抑えることが期待できる。このようにがんにおける弱点を見つけ出し、その弱点を攻撃する薬を用いることで有望ながん治療法へと応用することができると考えられる。
おわりに
欠損型遺伝子異常に基づいた合成致死標的を探索する段階において、アイソジェニック細胞株モデルを使った標的スクリーニングは有用である。アイソジェニック細胞株モデルとは、ノックアウト細胞株やレスキュー細胞株であり、同じ細胞株バックグラウンドにおいて、対象とする遺伝子の有無だけが異なるため、遺伝子の有無に依存した合成致死性因子を同定することが可能になる。ただし、がん治療法の開発における治療標的の同定は出発点である。創薬標的としての有望性を検証するために、細胞株モデル、マウス移植腫瘍モデルでの選択性の検証だけでなく、有効性を示すメカニズムの解明に基づいた科学的根拠を明らかにする必要がある。さらには、治療標的の阻害薬の創薬開発において、化合物の創出、化合物の最適化、安全性試験などをひとつずつ解決したうえで臨床試験に臨む。我々は、合成致死治療法の開発を通して、これまで治療法がなかったがん患者の方々へ有望な治療法を提供していきたい。
参考文献
- Sasaki, M. and Ogiwara, H., Cancer Sci., 111(3), 774~782 (2020). [PMID:31955490]
- Ogiwara, H., et al., Cancer Cell, 35(2), 177~190.e8 (2019). [PMID:30686770]
- Sasaki, M., et al., Biochem. Biophys. Res. Commun., 522(2), 342~347 (2020). [PMID:31761322]
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