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【研究室でインタビュー】金沢大学 がん進展制御研究所 磯崎 英子 教授

掲載日情報:2025/07/31 現在Webページ番号:65994

「海外研究留学編」として、特に留学に関してのエピソードについて語っていただきました!


金沢大学がん進展制御研究所磯崎英子教授

金沢大学 がん進展制御研究所
磯崎 英子 教授

略歴

  • 2002年4月 岡山大学病院 薬剤部(薬剤師)
  • 2012年4月 岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科 博士課程入学
  • 2016年6月 岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科 博士課程修了 [ 博士(医学)]
  • 2017年6月 マサチューセッツ総合病院がんセンター ハーバード大学医学大学院 博士研究員
  • 2022年6月 マサチューセッツ総合病院がんセンター ハーバード大学医学大学院インストラクター
  • 2024年11月 金沢大学がん進展制御研究所 ゲノム生物学分野 教授
  • 2025年 4月 金沢大学ナノ生命科学研究所 教授(併任)


研究テーマ:がんの多様化(進化)における分子機構の解明とがんの進展予防

がん細胞は、ゲノムに異常を蓄積しながら変化していきます。個々のがん細胞は、それぞれに違う遺伝子異常を有しており、これががんの多様化を引き起こします。がん細胞がゲノムの異常を蓄積しながら多様化していく状態を、がんの進化としてとらえることができます。がんの進化における分子機構を解明することで、がんの進展や薬剤耐性を未然に防ぐための新たな治療法を構築することを目指して研究しています。

留学先

アメリカ
マサチューセッツ総合病院がんセンター
ハーバード大学医学大学院

留学期間

7年3ヶ月


学生~薬剤師時代についてお伺いします。

どんな学生でしたか?

小学生の頃から、理科の実験が好きでした。研究者には憧れましたが、女性が仕事を続けることは非常に難しい時代でしたので、女性のライフイベントにも比較的対応しやすい薬剤師になることを選択しました。
大学は薬剤師になるために、当時は国家試験の合格率が一位であった大学を選びました。薬剤師になるという明確な目標があったので、授業を休んだことも、眠気を感じたこともありませんでした。実習は全て興味深かったですし、授業の内容は臨床の現場でもそのまま活かすことができました。学生時代の先生方には、とても感謝しています。

薬剤師として病院で勤務されていたのですよね。どのような毎日だったのしょうか。

今はもうだいぶ認知されてきていると思いますが、私が働きはじめた頃は「薬剤師って何してるの?」とよく言われていました。できるだけ顔が見えるようにして、存在感をアピールしようという時代でした。入院患者さんへの服薬指導や、看護師さんからの薬に関する問い合わせに対応できるように病棟に専任薬剤師を配置し、より身近に話ができる医療チームの一員となるよう働きかけていた頃です。手探り状態の初期の頃のスタッフでした。
大学病院では、学生教育も日常業務の一部です。学生さんに説明、学生さんと一緒に患者さんに説明、スタッフや学生さんとディスカッションという日々の中で、学生指導の難しさと楽しさを経験することができました。

そこから、研究畑に飛び込んだきっかけについて伺いたいです。

結婚後は、家事と育児に専念するものと思っていたのですが、旦那さんは仕事を続けることを勧めてくれました。それから自身の人生と向き合うようになり、子供の頃に諦めてしまった「研究」をしてみたいと思うようになりました。

研究というものが全くわからなかったので、まずは薬剤部で研究をしている先生にテーマをいただいて、指導を仰ぐことにしました。この時のテーマが肺がんでした。呼吸器内科の先生方も同じ研究をしていることがわかり、共同研究が始まったのですが、これまで話したこともなかった方々と研究を通じて交流をもつことになって、世界の広がりと知識の深まりを感じることができました。
研究内容は自分で生化学的な実験するようなものではなく、単純なカルテ調査でした。シスプラチンという抗がん剤がありますが、投与時には、腎機能保護のために大量の輸液を必要とします。この輸液量と点滴時間を削減できるかを検証するというものでした。結果、院内のプロトコルを変えることができ、外来の患者さんの拘束時間を大幅に減らすことにつながりました。日常臨床を変えることができる研究の力に強く惹かれました。

さらに実験手法や研究に必要な論理的思考を学びたいと思い、大学院への進学を希望しました。学士卒でしたが、10年の臨床経験を考慮していただき、博士課程へ進学することができました。

できるだけ実臨床に即した研究をしたかったので、進学後に呼吸器内科の研究カンファレンスに参加させてもらったところ、「うちで研究しては?」と呼吸器内科の教授からのご提案があり、呼吸器内科で研究させていただくことになりました。最初は先生方が話されている内容がさっぱり聴き取れず、半分違う国の言語を聞いているようなミーティングで、聞こえてきた単語をノートに書き取り、ミーティングの後に自分で調べるという地道な作業を繰り返していました。

病院で働く医療スタッフは、安全性の担保から法律によって制限されることが多く、その中で薬剤師として自分には何ができるのだろうといつも考えていました。一方、基礎研究では、好きなだけがん細胞をやっつけることができます。どの薬を、どれくらいの濃度で、どのくらいの期間使用するか、全て自分で決めて実行できるんですよね。病院の薬剤師は、主治医の先生からの許可がないと患者さんに面会できませんし、許可があっても患者さんは検査やリハビリのために不在がちです。培養細胞は歩いてどこかに行くことはなく、インキュベーターを開ければ、好きな時に好きなだけ彼らと戯れることができます(笑)。

一つの実験結果が出ると、次々とやりたいことが湧き出てきて、その結果を早く知りたくて、止まらなくなります。昼間は薬剤師として働いていたので、研究の時間は深夜と土日でしたが、楽しくて仕方がありませんでした。すごい発見をしたいとか、大きな夢は持っていませんでしたが、日常臨床を変えるような研究がしたいという気持ちは今も変わりません。


留学について教えて下さい。

どのようないきさつで留学を考えるようになったのでしょうか。

岡山大学大学院では、血液・腫瘍・呼吸器内科学講座で研究をさせていただきました。その講座の肺がん研究グループは、アメリカ癌学会の年会(AACR)で発表することを一つの目標としていました。大学院3年目のAACRに出席した際、米国のご高名な先生と偶然お話する機会に恵まれました。とても親切な方で、どんな研究をしているの?と聞いてくれました。拙い英語でしたが、自分の研究について説明したところ、通じた!ようでした。伝えたいと思って話せば、第二言語でも伝わるということを実感し、理解して興味を持ってもらえることに喜びを感じました。

研究成果を発表するため、AACRの他にも国内外の学会に積極的に参加することで、一気に世界が広がるのを感じました。各国の様々な都市を旅することができましたが、全て自費でしたので、貯金がなくなりました(笑)。
AACRの合間に立ち寄った海岸からの景色を眺めながら、いつか米国で働いてみたいと思いました。その時は、まさか本当に留学できるとは思っていませんでしたが、留学経験をもつ先生方から将来の選択肢の一つとしてご提案いただくうちに、少しずつ自分の中で現実味を帯びてきました。

【研究室でインタビュー】金沢大学 がん進展制御研究所 磯崎 英子 教授

留学先はどのように選びましたか?

留学先は大学院を卒業してから探し始めました。大学院卒業後も引き続き、肺がんのトランスレーショナル研究をしたかったので、その分野で論文を読んだことがあるラボにコンタクトを取りました。大学院の時に参加していた学会はAACRが一番主体でしたし、がん研究はアメリカが先進的な印象がありましたので、あまり他の国は考えませんでした。3つのラボに応募して、一番最初に決まったところがMGH(マサチューセッツ総合病院)がんセンターでした。PI(Aaron Hata先生)と同時期にご留学されていた先生からご紹介いただき、インタビューを受けた同日にオファーレターをいただきました。

履歴書(CV:Curriculum Vitae)について

初めて作成した私のCVは酷かったと思います。全く予定していなかった進路を歩み始めたので、見ようみまねで突き進んでいました。CVって何?というレベルで、ネットで調べながら、それらしく作成しました。英語もほとんど話したことがありませんでしたし、今でもよく受け入れてくれたなと思います。

留学後は、博士研究員希望の方の選考をよくお手伝いしました。ラボが人材募集している時期であれば、意外と考慮されますので、自分には無理と決めつけずに、自分のやりたいこととマッチするラボのドアをまず叩いてみることをお勧めしたいです。あなたの研究に興味があります、一緒に研究がしたいですと言われたら、PIはみんな嬉しいと思います。そのラボに有益な人材であるかがポイントになると思うので、その点をしっかりアピールできるといいと思います。

Curriculum Vitae

事務的な手続きについて、準備は大変でしたか?

社会情勢、受け入れ先やビザの種類によって異なると思いますが、当時の私の場合は、ビザの申請に3か月ほど要しました。大変興味深いことに、届いたビザの性別がなぜか男性になっていました。日本ではまさか、ということが海外では結構頻繁に起こります。ちなみにカナダ出身の友人は、知らない人のパスポートが送られてきたことがあるそうです。そのパスポートの人とSNSで繋がり、直接会いに行き、パスポートを交換したそうです。日本では信じられないですね。書類はよく確認したほうがいいです。

良い施設であれば、保険は充実しており、診察料や薬剤費はほぼ自己負担なしでした。日本の3割負担よりも安いです。これは、PIが高額な保険料を支払ってくれるからですので、感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。奨学金を持って留学したとしても、この保険料はラボ負担のようでした。
住居は現地にいる日本人に尋ねるのが一番良いと思います。

保険のことなどは調べることがなかなかできないので、やはり聞いてみるしかないですね。

日本人の方々はおそらく、あまり込み入った質問をしては失礼だと思い、遠慮されているかもしれませんが、雇用についてきちんと確認することは米国では正当な権利として認められていて、誰でも普通に交渉していると思います。雇用以外の面でも、要望などは自発的に声を上げなければ、察してくれるようなことはありません。奥ゆかしさなど百害あって一利なしです。私の場合、お給料はオファーレターに書かれていました。


留学先での生活について教えて下さい。

アメリカでの生活はどうでしたか?

日本の職場は人数の割に部屋が狭く、箱の中で風船がひしめきあっているような感じがしていました。米国のラボは広いので、過度な干渉を感じることなく、気楽でした。役職による壁をあまり感じることなく、みなさん気さくで楽しかったです。エレベーターでは、知らない人とも短い会話を楽しみ、「Have a nice day」と言いあって爽やかに去ってゆきます。ネガティブなことは口にせず、いつもNiceであることを心がけているようでした。
ボストンはオイスターとロブスターが美味しく、よく食べに行きました。また、クラフトビールがたくさんあり、缶の絵柄が可愛くてとても美味しいです。米国に来てから、ビールが好きになりました。

【研究室でインタビュー】金沢大学 がん進展制御研究所 磯崎 英子 教授

マサチューセッツの北に位置するニューハンプシャー州やメイン州では、広大で美しい自然を楽しむことができます。MGHがんセンターで知り合った友人たちとハイキング、キャンプ、スキーなどのアウトドアを楽しみました。ラボでもリンゴ狩り、ホリデーパーティーなど色々な行事がありました。走る機会が増えて、短時間のランニングで効率よく体調を整えることができることを学びました。友人と良い休日を過ごし、軽い運動で体調を整えることで、より良い仕事ができることを知りました。

【研究室でインタビュー】金沢大学 がん進展制御研究所 磯崎 英子 教授
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【研究室でインタビュー】金沢大学 がん進展制御研究所 磯崎 英子 教授

ラボでの1日はどんな流れでしたか?

ラボメンバーは流動的で、18人くらいのうち過半数は大学を卒業して間がないテクニシャン達でした。残りはポスドク6~7名とハーバード大学の学生さん1名ほど。初出勤の日、PIに就業時間を尋ねたら笑っていました。特に決まりはないけど、10時くらいまでには来てくれると嬉しいという回答でした。単身で渡米し、土日にすることもなかったので、いつもラボにいると、テクニシャン達があの子は大丈夫かと心配し始めました。PIも一緒になって、働きすぎるなというので、たまには友人とどこかに行くことにしました。

ランチは実験のスケジュールによりますが、比較的遅い時間にとっていました。建物内にあるカフェテリアが閉まる前によく駆け込んでいたので、数名のスタッフと顔見知りになりました。余りそうな食べ物があれば、嬉しそうに大盛りサービスをしてくれました。大盛りすぎて食べきれないほどでしたが、気持ちが嬉しかったです。食事のスペースに行くと、誰かはいるので、そこにいた人と一緒に食べました。ラボのランチや日本人研究者で集まってのランチも週に一回ずつありましたので、実験スケジュールに応じて、なるべく参加するようにしていました。

【研究室でインタビュー】金沢大学 がん進展制御研究所 磯崎 英子 教授

日本との研究スタイルの違いは感じましたか?

ハーバード関連の施設は、コラボレーションによって一つの大きなプロジェクトを成功させるという研究スタイルをとっています。それぞれの分野のエキスパートと組むことで、質の向上と時間の削減が可能となり、これが大規模かつ高いレベルの研究成果や人材育成につながると考えられています。日本でも少しずつそのような体制になってきていると思いますし、国内外の研究者との共同研究の機会がさらに増えてゆくことを期待しています。
研究資金は、政府からの支援に加え、患者さんやそのご家族、資産家の方々からの寄付に支えられている面が大きいようでした。

留学先での研究は順調に進んだのでしょうか?

何かを待っていることが多く、自分ではどうしようもないので、ストレスでした。バイオインフォマティクスの研究者との連携がプロジェクトの鍵でしたが、彼らは多忙な上に、全ゲノムの解析は時間がかかります。ようやく解析結果が出たとしても、ディスカッションして修正をかけてゆく必要があり、依頼しては待つという繰り返しでした。待っている間に自分で思いついたアイディアの実験などをしていました。
専門家との共同研究であっても実験デザインは研究責任者であるPIとそのポスドクがしますので、完全に丸投げしてしまうことはできません。橋渡し研究ですので、臨床医とのミーティングもあり、臨床の観点からの意見をもらうことができ、刺激的でした。様々な分野の研究者との共同研究の方法を学ぶことができました。

留学中、大変だったことはありますか?

単身で土地勘もないので、ラボの同僚やシェアハウスのルームメイトが生活のセットアップを助けてくれました。COVID-19パンデミックの時期は、一人暮らしを始めたばかりでラボのシャットダウンもあり、孤独でした。日本とアメリカ東部の時差は13〜14時間で、家族とも連絡が取りづらいです。単身とは別のご苦労があると思いますが、ご家族で来られている方々が羨ましかったです。アメリカは家族単位で行動することが多く、パーティーでは家族やパートナーを同伴して参加します。子供を通じて、人の輪も広げやすいと思います。ぜひご家族で留学されることをお勧めしたいです。



ボストンでの生活について

●治安

ボストン中心地の家賃は高いので、車なしで職場の近い中心地に住むか、車を持って郊外に住むか、どちらかの場合が多いと思います。家族で留学されている方はどうしても車は必要なので、郊外に住む場合が多いです。ボストンは他の都市と比べて親日家が多く治安も良くて住みやすいところですが、たまに発砲事件などは起きていました。道を歩く時は、常に周りに人がいるかとその距離を確認し、姿勢をよくして、早足かつ大幅で歩くようにしていました。幸い事件に巻き込まれたことはありませんでしたが、英語学習をネタに友達になろうと誘ってくる外国人男性が多かったです。断りきれず、会って食事したことがありますが、大抵はネイティブのアメリカ人ではなく、英会話の勉強にそれほど適していません。あまり利にならない上に危険ですので、気をつけてください。

●市販薬(OTC)

欧米人と日本人の身体のつくりは、かなり違いますので、自分の体力と相談しながら、アウトドアに参加するか決めるようにしていました。薬についても用量には注意が必要です。病院を受診したとしても、薬は薬局で市販薬を購入してくださいと言われることがあります。日本では成人の最大量にあたる用量の薬が売られていることもあります。その場合、まずは半分量飲んでみて、副作用がなく、効果が薄ければ一人分の量を飲むなど、少し慎重に服用していました。

●賞味期限

スーパーで食品の賞味期限が切れていることがよくあります。日本だと大事件ですが米国では高級スーパーですら、よくあります。ある日疲れていて、何も確認せずにふらっと品物を取ると、2週間以上前に賞味期限が切れている肉でした。賞味期限切れを買ってしまった場合は、レシートと一緒に持ってゆくと、速やかに返品してくれます。


留学中、Natureに論文を出された時、これはいけるぞという感覚があったのでしょうか。

興味深い研究テーマでしたし、原著論文として出版したいとは思っていましたが、Natureにアクセプトされるとは思っていませんでした。論文がNatureにアクセプトされたのは2回目の投稿です。1回目の投稿はアクセプトされる3年前でした。その頃は、まだ仮説を証明しきれていないという感覚があったのですが、PIが投稿を強く勧めてきました。断りきれなかったので、査読でリジェクトしてもらおうと思いました。Natureは査読もされないことが多いですが、幸運なことに査読コメント付きでリジェクトしてくれました。コメントの内容はとても的確で、その後の追加実験の道筋がクリアになりました。Natureに再投稿する気はあまりなかったのですが、最後の実験で結果の信頼性と新規性を高めるデータが取れたので、再投稿してみようと思いました。

先ほど「研究資金は患者さんからの寄付に支えられている面が大きい」というお話がありましたが、そういうものもアメリカの方が日本より見えやすかったりしたのでしょうか?

不思議な話ですが、日本で臨床業務をしていた時よりも、米国の患者さんが身近に感じられました。
米国のがん患者団体は、患者さんやそのご家族などで構成され、彼らがマイクを持ち、力強くがん研究の必要性を訴えます。マラソンなどのチャリティイベントが頻繁に開催されています。学会でも患者団体の方々が講演するセッションが必ず組み込まれていて、彼らの声を聴く時間が設けられています。私が所属していたMGHの肺がん研究者を支えるLUNGSTRONGという非営利団体があり、イベントで集まったお金はMGH肺がん研究者の研究資金として寄付されています。2011年に発足されたLUNGSTRONGの創始者は、MGHの臨床腫瘍医によって分子標的薬で治療され、劇的な改善と20年という長期の生存を示した肺がん患者さんでした。残念ながら2024年12月に他界されましたが、LUNGSTRONGは彼女の意思を受け継ぎ、現在も活動を続けています。

【研究室でインタビュー】金沢大学 がん進展制御研究所 磯崎 英子 教授


帰国されるまでについて教えて下さい。

ポスト探しはどのようにされましたか?

遅くに研究をスタートしたので、日本で独立ポジションを取るのは難しいだろうと思っていました。米国は年齢ではなく、学位取得後の年数でカウントされるので、独立研究者として自身のラボが持てる米国研究施設のAssistant professorポジションに応募しようと思いました。同時期に知人から日本の現職の公募についての情報があり、こちらも無理を承知で応募することにしました。

留学の前後で、ご自身の価値観などに変化はありましたか?

留学中は、様々な国籍の人々に出会うことができました。そのほとんどが日本の文化や技術を賞賛していることを知り、自国を誇らしく思いました。アニメやゲームを通じて日本の知識が豊富で、日本語を独学で勉強している人も少なくありませんでした。彼らとの会話に刺激を受け、日本および各国の文化、経済、政治、科学技術などに以前よりも興味をもつようになりました。教育課程で学ぶ歴史、地理、言語の重要性も痛感しました。留学前は、巨大な米国にただ圧倒されるばかりでしたが、実際に現地の人々と触れ合うことで、自ら勝手に作っていた壁がなくなり、力を抜いて彼らと対峙することができるようになりました。今後も研究を続けていくにあたって、ネットワークを広げるノウハウを学ぶことができ、留学して良かったと思っています。

海外留学を考えている若手研究者にメッセージをお願いします!

論文や講演を通じて、“面白い”と感じた研究をしているラボに留学できるといいと思います。自分で壁や限界をつくることなく、好きなことに挑戦してほしいです。興味や好奇心は、限界を超えるエネルギーを与えてくれます。私は、研究を始めてから、自分が知らなかった自分に出会うことがよくあります。経験は、人を進化させてくれます。ぜひ挑戦してみて下さい!

本日はお忙しい中 ありがとうございました!

金沢大学 がん進展制御研究所

研究室Webページ:ゲノム生物学研究分野

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