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東京大学大学院医学系研究科・脳神経医学専攻 神経生化学分野 尾藤晴彦 教授

知りたい!脳情報動態学 Brain Information Dynamics へのいざない
東京大学大学院医学系研究科・脳神経医学専攻 神経生化学分野 尾藤晴彦 教授

掲載日情報:2022/06/15 現在Webページ番号:65956

東京大学神経生化学分野
尾藤晴彦教授

東京大学大学院医学系研究科
脳神経医学専攻 神経生化学分野
尾藤晴彦 教授

はじめに

広範な脳領域で生成される神経情報を実時間で計測し、それがどのような脳機能の情報表現であるかを解明することは、まさに脳情報の解読(デコード)に他なりません。このような情報表現の時空間パターンに応じて、どのような情報伝達経路が駆動され、特異的な情報処理へと結実していくのでしょうか。そして、これらの情報処理破綻により、脳神経機能不全を起こし、神経・精神疾患などの基礎病態が生じるのではないでしょうか。
多くの謎が目の前に拡がりますが、このような研究は端緒についたばかりで、研究手法自体がまだ十分確立しているとはいえません。

そこで筆者らは、文部科学省 新学術領域研究の支援を元に、「脳情報動態学」という学問分野を2017年に創成致しました。脳情報動態学は、神経生化学・神経生理学・神経解剖学・光遺伝学・生体情報工学などの学問的融合を目指す、新たな学術分野です。
最終的には、脳情報動態の生命科学的構造を解明し、分野横断型アプローチと工学的理解に基づくことにより、脳情報の未知なる次元を解読し、閉ループ制御による介入までを見据えようとしています。このような脳科学の新たな発想は、世界的に大きなうねりを見せ、急速に世界的な潮流となりつつあります。


本稿では、まず脳情報動態学の基盤となる細胞レベルの情報解読を実現するために不可欠な神経活動計測を可能とするカルシウム指示遺伝子の技術開発の話題を取り上げます。後半では、筆者がいかにして偶然の海を泳いで、このような研究を実践するに至ったかについて私見も含めて記述致します。


脳情報動態を読解する道具をつくる

脳では、生きた個体が外界情報を五感によって取得し、一次感覚野での感覚入力が表現されることになります。大脳皮質などの脳領野には、興奮性・抑制性など複数の異なる神経細胞種がそれぞれ協調的に、あるいは相反しながら、適切な頻度・回数で発火することにより、正常な認知・学習機能を発揮すると考えられています。このような感覚入力情報を外界情報と同時に記録することにより、外界情報の変化がいかに感覚入力を生み出すかを理解することが可能です。また、運動が発生するときの運動野興奮を計ることにより、運動出力を引き起こす運動野活動についても多くの知見が得られてきました。

近年、この感覚入力・運動出力がもたらす脳発火情報を読み解くために、発火が必ずカルシウム(Ca2+)情報を引き起こすことを利用して、輝度が高い蛍光Ca2+センサーを用いて神経活動を計測・イメージングする手法が普及しています。特に、細胞種別の神経活動を計測するため、細胞種特異的プロモーターやエンハンサー配列が明らかになっていることを利用し、遺伝子にコードされたCa2+センサー(Genetically Encoded Ca2+ Indicator, GECI)が広く用いられています。

しかしながら、これまでに活用されているGECIは、神経発火の有無、もしくはだいたいの強弱のみを検出しており、正確な発火頻度推定や細胞種別の比較検討には不十分な性能でした。また、異なる細胞種で複数の波長のGECIを同時発現し、神経興奮を細胞集団毎に解明していく方法も、実用的ではありませんでした。

そこで筆者らは、神経生化学教室の井上昌俊博士(当時大学院生・特任研究員・特任助教、現・スタンフォード大研究員)と、蛍光イメージングプローブ開発チームリーダーの藤井哉講師との協働にて、以下の2つの計測目標を立てました(図1)。

    1. これまで実現していなかったカルシウム濃度に対する線形的応答を示す新規GECIを開発する
    2. これまで実用性が十分でなかった赤色・黄色・青色のGECI性能を改良して多色GECI計測技術を開発する
ダイナミック脳の精密解読へ

図1 ダイナミック脳の精密解読へ


特に前者については、世界の動向とは異なる方向性を取り、これまで全面的に採用されてきたカルシウム・カルモジュリン結合配列(MLCK由来)を使わず、CaMKK配列(Ca2+/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼキナーゼ配列)へと変更することとしました(文献1-3)。これは、このプロジェクト着手前に井上博士が進めていたCaMKK活性可視化のFRETプローブのCa2+線形性が極めて優れていたことに着想を得たためです。

幸運なことに、この開発初期に蛍光カルシウムプローブG-CaMP開発者である中井淳一先生(当時埼玉大学、現・東北大学)、大倉正道先生(当時埼玉大学、現・九州保健福祉大学)との共同研究が実現しました(文献1, 4)。 さらに、開発後期に多くのレーザーエキスパートの協力に恵まれ、そしてプロジェクト開始時より、東京大学神経生理学分野の狩野方伸先生、喜多村和郎先生(現・山梨大学)に多光子イメージングに関して包括的に支援していただけたことが、GECI開発の素人軍団にも関わらず、我々が一定の成果を得られた所以ではないかと考えています。

競合グループがCa2+・カルモジュリン結合配列の置換に取り組まなかったという幸運もあり、Ca2+に対する線形性が高い各種GECIを日本発で作出することに成功しました(文献1-3)。 線形性に加え、高性能な緑色GECIであるGCaMP6fと同等の時間分解能を有するR-CaMP2(文献1)、輝度は暗めながらS/N比は優れているG-CaMP9a(文献2)、発火回数に対し線形に蛍光変化し、かつ従来のGECIに比べキネティクスも向上している多色Ca2+センサーXCaMP(青、緑、黄、赤)(文献3)を生み出しました。また、幼若神経細胞の突起先端部位など膜容量が豊富な微小構造近傍のCa2+を計測可能な膜アンカーGECI(Lck-G-CaMP7)により、幼若神経細胞の新たなカルシウム動態も発見しました(文献4)。

こうして得られたGECIの中で、活動電位測定に一番適しているXCaMPセンサーを次々とマウス成体脳に導入しました(図2)。すると、生きた状態で高頻度発火するパルブアルブミン(PV)陽性細胞の発火パターンの2光子計測解読性能が、従来センサーより2倍向上していました(XCaMP-Gf)。
また多色性に基づき異なる3種類の神経細胞種の超高速神経活動同時計測にも成功し、前頭前野において物体探索行動の約1秒前からPV、ソマトスタチン(SST)陽性細胞の順に活動が開始することを証明しました(XCaMP-R, -G, -B)。
またXCaMP-Rは赤色で組織浸透が優れているため、脳表から直接海馬CA1活動を覚醒マウス脳にて計測し、感覚入力に伴う持続的活動計測を実現しました。

世界最高性能XCaMPセンサーによる脳情報動態の精密解読

図2 世界最高性能XCaMPセンサーによる脳情報動態の精密解読

究極的にはXCaMPの多色性を生かして、2つの神経細胞間、あるいは細胞集団間のシナプス伝達に関する時空間的情報を明らかにしたいのですが、その基礎検討として、浅部SST陽性細胞による第5層興奮性細胞樹状突起頂端房部(Apical tuft dendrite)への投射による樹状突起抑制の時空間的広がりを実時間測定しました。
このように、各種の色のXCaMPの組み合わせにより、従来計測困難であった脳情報動態を解明し、神経回路ネットワークの動作原理を明らかにする技術革新が今後もたらされることが期待されます。
事実、井上博士らはKarl Deisseroth研究室に異動し、XCaMP-BとChRmine/rsChRmineの組み合わせが閉ループ回路制御実現に最適かもしれない、という基礎的知見を得ています(文献5)。


エイコサノイド生化学からカルシウムイメージングへ

では、いかにしてこのような脳情報動態学に向き合うことになったのでしょうか。そのヒントは、時を遡ること30年以上前にあります。

筆者は医学部在学中、偶然にも基礎医学研究に出会いました。そして20才より脂質生化学を専門とする栄養学教室にて、3年間、ひたすら生化学の実践トレーニングを受けることになりました。低温室にこもり動物の組織可溶性画分を抽出し、そこから脂質メディエーター代謝を担う酵素の単離精製作業に没頭しました。粗精製を20数回繰り返し、エイコサノイドであるロイコトリエンB4合成を司る70kDの酵素タンパクを単一バンドまで精製したのです。
医学部時代には、ひたすら研究の「体力」「精神力」を鍛えましたが、大学院に入ると、これだけでは勝負できない程、シグナル伝達の分野の進展が著しいことに気づきました。そこで単なる精製・単離・遺伝子クローニングを越えた機能的実験を始めたいと考え、三菱化成生命科学研究所(通称、L研)の工藤佳久先生(現・東京薬科大学 名誉教授、東京医科大学 兼任教授)の下に毎週通い始めました。当時は、L研薬理部が初代培養神経細胞の計測では世界に伍して、カルシウム指示薬Fura-2AMを用いたカルシウムイメージングを日夜実践していました。

工藤先生のお計らいで当時撮影したのが、図3 上です。これにより、機能不明の脂質メディエーターPAF(Platelet-activating factor、血小板活性化因子)が神経細胞でカルシウム上昇を引き起こすことを実証しました(文献6)。論文が採択されただけでなく、雑誌表紙を飾ることが出来ましたが、その裏では実はフラストレーションも溜まっていました。というのも、検出器の時空間分解能がまだ乏しく、細胞体のカルシウム上昇は計れても、小さい突起や樹状突起スパインの機能解明へはまだほど遠いことを悟ったからです。また、カルシウム指示薬の性能限界のため、カルシウム上昇を指標にin vivo神経活動を計測することはまだ不可能でした。

この頃に、「細胞体のシグナル伝達」から「神経細胞全体のシグナル伝達の解明」へ、そして可能ならば、「in vivo脳全体のシグナル伝達可視化」「個体全体のシグナル伝達解明」をいつかは目指したいと、最初に心から願った瞬間が訪れました。

神経細胞のカルシウムイオンイメージング

上:血小板活性化因子(Platelet-Activating Factor)投与によるラット海馬初代培養細胞におけるカルシウム動員(Fura-2AMによるレシオイメージング, 文献6より)
下:マウスバレル野第2/3層神経細胞の樹状突起スパインにおける自発的カルシウム流入 (R-CaMP2によるin vivo 2光子蛍光イメージング, 文献1より)


イメージングを封印し、カルシウムシグナル伝達の酵素学・分子細胞神経科学を経て、再度カルシウムイメージングへ

工藤先生との共同研究により、神経科学における脂質メディエーターの秘めたポテンシャルを垣間見る事に成功しましたが、脂質メディエーターをシナプス近傍で計測することは感度の点で不可能でした。それでも、いったん興味を持ってしまったシナプスについてどうしても仕事がしたくなり、多くの幸運が重なり、「カルシウム」「神経細胞」「可塑性」をキーワードにStanford大学のRichard W. Tsien教授(Fura-2AMの開発者であるUCSD Roger Y. Tsien教授の兄で、Rogerにカルシウムシグナル研究のきっかけを作った)の下へ留学する機会を得ました。

しかしカルシウムイメージングは封印し、活動依存的興奮転写連関、すなわち、シナプスから核への神経細胞内シグナリングをひたすら追い求めることになりました。そして、見いだした関連分子の細胞生物学的検討に明け暮れました。タイムラプスイメージングはスループットが低く、十分量の実験データが取れないため、専ら空間解像度を重視した免疫染色法と定量的共焦点顕微鏡イメージングを組み合わせ、カルシウムシグナルの時空間的拡がりを追い、薬理学的操作・分子操作により、因果的にシグナル伝達を解明する手法をこの時期に編み出しました(文献7, 8)。

この時期の実験上のパートナーがKarl Deisseroth博士(当時はまだ院生)で、二人でチームを組み、この間、日本の生化学教育の英知を全部彼に授けたと言っても過言ではありません。光遺伝学創成において、その経験がどのように役立ったか不明ですが、当時ラボ内で他の誰の助けも借りず、日本人ポスドクであった筆者と一緒に未知のシグナル伝達経路を明らかにしていった過程は、有意義な修行にはなったのではないかと想像しています。

それから20年以上経ち、酵素屋としての生化学的着想が久しぶりに湧き、新規Ca2+指示タンパクのデザイン(CaMKK由来の配列の活用)を一緒に思いつき、井上昌俊博士の獅子奮迅の活躍により、まずR-CaMP2ができあがりました。これを、喜多村和郞先生、狩野方伸先生、竹内敦也先生(現・東京医科歯科大学)の協力を得て、初めて納得のいく高解像度でスパイン機能イメージングが実現したという瞬間の像が図3下の写真です。

月日が経っても、実は最初から全く同じチャレンジをずっと続けていたのだ、と強く実感する今日この頃です。また永年、多くの共同研究者に恵まれて初めて、研究を持続することが可能なことを改めて再確認致しました。教室関係者、並びに共同研究者の皆様に深く感謝致します。

謝辞

本稿は永年にわたる研究を振り返っていますが、脳情報動態学の創成、特に多色イメージング技術開発は科研費17H06312、GECI性能向上はAMED革新脳15dm0207036, 19dm0207079、多光子イメージング実現はJST-CRESTおよび武田科学振興財団による助成を受けており、この場を借りて深謝致します。


東京大学医学系研究科神経生化学分野の皆様

東京大学医学系研究科神経生化学分野の皆様
前列右から4人目が筆者

文献


フナコシニュース

「知りたい!脳情報動態学 Brain Information Dynamics へのいざない」はフナコシニュース2022年6月15日号p.2~3に掲載しています。

フナコシニュース2022年6月15日号

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